養源院についてご紹介
豊臣秀吉の側室淀殿が父・浅井長政の菩提を弔いたいとの願いから1594年に建立されたお寺です。
浅井長政とは、織田信長の妹お市の方を妻に持ち、織田信長と同盟を結び、北近江を治め浅井氏の全盛期を築いた戦国武将です。しかし後に信長と決裂し小谷城の戦いに敗れ自害しました。
寺名は、長政の法号である「養源院」から付けられました。
徳川家の菩提所となり歴代将軍の位牌を祀る寺院です。
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浅井長政とお市と娘たち
長政は、織田信長の妹・お市の方との間に三人の娘を設けました。お市の方は戦国一の美女と賞され、夫婦は仲睦まじかったと言われています。
長政は小谷城で自害する前に、お市の方と娘たちを城から逃した心優しい人でした。しかし長政亡き後お市の方は数奇な運命をたどりました。
子は、淀殿(豊臣秀吉の側室)、お初の方(武将・京極高次の正室)、お江(徳川第二代将軍・秀忠の正室)です。この姉妹は時代に翻弄された人物として歴史上大変有名です。特に淀殿は、豊臣秀吉の側室となり数奇な運命をたどったことで有名です。
養源院の見どころ1(血天井)
淀殿の死後、1619年にお寺は火災で焼失しましたが、1621年に淀殿の妹であり、徳川二代将軍秀忠の正室であるお江(崇源院すうげんいん)により再建されています。再建の際にはお江による大変な努力がありました。
このお寺は豊臣家が建てたため再建には徳川勢による反対がありました。そこでお江は、1600年伏見城の戦いで自害した徳川の将士たちを供養するという名目で再建を果たしたのです。関ヶ原の戦いの際に起こった伏見城の戦いで自害した徳川の家臣たちの血痕が残った床板をお寺の天井板として用いたのです。このお寺はその「血天井」があることで有名です。住職さんが丁寧に説明してくれます。以外にも女性が多く拝観されていました。
養源院の見どころ2
■俵屋宗達の杉戸絵・襖絵
江戸時代の絵師・俵屋宗達の出世作となる杉戸絵などを見ることができます。杉戸絵には「白像」や「唐獅子」など血天井の英霊を慰めるための絵が描かれています。奇抜で迫力ある白象ですがオリエンタルチックでかわいさもあります。
襖絵は、躍動感のある松の絵で、金箔が貼られ大変豪華です。宗達の現存する唯一の襖絵のようです。その他、狩野山楽が描いた障壁画があります。
他にも歩くとキュッキュと音が鳴る鴬張りの廊下など、いろいろ見どころのあるお寺でした。
境内にはお市の方の供養塔とお江の方の石塔があるそうです。
アクセス
市バス停「博物館三十三間堂前」からすぐの所です。
open 9:00-16:00
拝観料:600円
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