みてら【泉涌寺】皇室の菩提所 楊貴妃観音は美のパワースポットで人気!京都紅葉の名所

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御寺 泉涌寺の見どころご紹介

泉涌寺は、京都東山三十六峰の一つ、月輪山(がちりんさん)の麓に建立された寺院で、森林に囲まれた静かな環境にたたずむお寺です。静寂で清らかな雰囲気を感じます。
境内には仏殿舎利殿など、かわいらしい花頭窓のついた立派な伽藍が建立されています。

歴代天皇の御葬儀が営まれ天皇陵を持つ泉涌寺は、皇室菩提所であり、皇室から長く篤い信仰を受けており「御寺(みてら)」と呼ばれています。

お寺の一角から霊泉が湧き出たことにより泉涌寺と名付けられました。それは現在でも枯れることなく湧き続けているのです。
泉涌寺は、紅葉スポットとしても人気があるお寺です。
          

泉涌寺では楊貴妃観音像が祀られており、美のパワースポットとなっています。楊貴妃は世界三大美人の一人で知られており、多くの女性が美人祈願に訪れている人気の観光スポットです。

また泉涌寺の本尊は、「過去・現在・未来」の三世仏となった形式で、他ではあまり見られないとてもめずらしい本尊で、こちらも必見です。

市バスを降りて、ゆるやかな坂道を上っていくと泉涌寺(せんにゅうじ)の総門にたどり着きます。総門を抜けると泉涌寺の境内に入ります。その先は塔頭寺院が建ちならぶ参道がつづきます。そして格式高き泉涌寺の大門が見えてきます。
          

【泉涌寺の近隣情報】
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東山の入口である【大門(重要文化財)】

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泉涌寺では、大門が一番高い位置に建っています。
東山の入口となる門ということで、「東山」の額がかかげられています。東山門とも呼ばれています。大門は桃山建築の造りで、龍や唐獅子などの霊獣が彫刻された厳かな雰囲気の正門です。
門の先の「降り参道」といわれる坂道をすすむと、その先に伽藍が建立されています。
         

泉涌寺の歴史について

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泉涌寺の起源は、弘法大師空海が草創したと伝わる他、平安時代の左大臣・藤原緒嗣が建立した法輪寺に由来すると伝わるなど、諸説あるようです。
その後、お寺は「仙遊寺」と改名されました。

そして1218年に、月輪大師・俊芿(がちりんだいし・しゅんじょう)が宇都宮信房から寺院の寄進を受け、荒廃していたお寺を再興されたのです。
その際に、境内の一角から清泉が湧き出たことにより「泉涌寺」と改名されました。

俊芿は熊本の肥後国に生まれました。1199年に中国に渡り、天台・浄土・律・禅を究め、1211年に帰国されました。泉涌寺において北京律(ほっきょうりつ)をおこし、泉涌寺は四宗兼学の道場として発展しました。
1226年には宋の法式を取り入れた大伽藍を造営し、泉涌寺は東山にその威容を誇りました。

泉涌寺は公家武家からの信仰篤く、後鳥羽上皇、北条政子や北条泰時なども俊芿について授戒されています。
1242年正月、四条天皇崩御の際に泉涌寺月輪陵(つきのわのみささぎ)へ奉葬されたことにより、以降皇室との関係は深まりました。
その後も多くの天皇・皇后の御葬儀が執り行われ、泉涌寺は「御寺(みてら)」と呼ばれるようになったのです。
         

美人祈願で人気の【楊貴妃観音堂】

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優美でオリエンタルな顔立ちの美しい楊貴妃観音像がご覧いただけます。カラフルに装飾されています。美のパワースポットとして多くの女性が訪れています。

唐の玄宗皇帝の妃である楊貴妃は絶世の美女として知られています。756年の安禄山の乱により命を落とします。乱の後、玄宗皇帝は亡き妃の面影を偲び観音像を造ったそうです。
中国に渡った俊芿の弟子である湛海(たんかい)が1255年にその像を持ち帰り、泉涌寺に安置したのだそうです。
         

泉涌寺の【仏殿と本尊の三尊仏】

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大門を通り「降り参道」の正面に建っているのが仏殿です。
創建時の伽藍(仏殿)は応仁の乱で焼失し、1668年に徳川4代将軍家綱により再建されています。国の重要文化財です。
二重層建築に見えますが一重入母屋造りとなっています。窓がアーチ型の花頭窓で、オリエンタル風でおしゃれです。

本尊は左から「現在」阿弥陀如来、「過去」釈迦如来、「未来」弥勒如来の三世三尊仏が安置されています。他ではあまり見られない宋仏教の形式による本尊です。

仏殿の天井には「雲龍図」が描かれ、本尊の背後の裏壁には「白衣観音壁画」があり、江戸時代初期の有名な狩野探幽(かのうたんゆう)の筆でこちらも必見です。
また毎年3月14日~16日の間、国内最大級の「大涅槃図」が公開されます。
      

舎利殿(非公開です)

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仏殿の隣に舎利殿が建立されています。釈迦の歯(仏牙舎利)が奉納されている霊殿です。京都御所の建物を移築改装したものです。天井には狩野山雪筆の雄大な雲龍図が描かれ、「鳴龍」として有名です。
毎年10月8日には舎利会法要が営まれ多くの参拝者が集まるそうです。
         

皇室菩提所【霊明殿】

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唐門の先に高貴な雰囲気漂う【霊明殿(非公開)】が望めます。明治期に炎上し明治天皇により再建されています。
泉涌寺は、皇室との結びつきが深く1242年に四条天皇の御葬儀が営まれています。
南北朝から安土桃山時代までの歴代天皇の葬儀を行っています。その後、江戸時代には後陽成天皇から孝明天皇に至る歴代天皇・皇后のご葬儀を執り行っており、山陵「月輪陵(つきのわのみささぎ)」が境内に設けられています。
          

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霊明殿の中央御扉内には四条天皇御尊像が安置され、明治天皇・皇太后、大正天皇・皇太后、昭和天皇・皇太后の御尊牌が奉安されています。霊明殿は非公開となっています。
          

皇族方の休憩所【御座所】

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皇族方がご参拝の際に使用される休憩所で、現在も利用されているそうです。
すべての部屋の襖には様々な絵が描かれています。宮廷生活の一端が伺えます。
霊明殿と御座所、海会堂に取り囲まれるように庭園が築かれています。紅葉した華やかな景色や、雪化粧した美しい姿など四季折々の風景が楽しめます。

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泉涌寺の由来となった【水屋形】

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泉涌寺の名の由来となった清泉を覆う屋形で1668年に再建されています。清泉は絶えることなく湧き続け、屋形の近くで耳をすますと清泉の流れる清らかな音を聞くことができます。
             

泉涌寺へのアクセス

東大路道の市バス停「泉涌寺道」から東へ300mlほど緩やかな坂道を登ると泉涌寺の総門へ辿り着きます。そこからが泉涌寺の境内になります。

JR線・京阪電車「東福寺駅」から徒歩10分

9:00~16:30(3月~11月)
9:00~16:00(12月~2月)
【拝観料】大人 500円 子供 300円(小中学生)

京都市東山区泉涌寺山内町27

【近隣情報】
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Chia

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