世界遺産・二条城について
二条城は、1603年に江戸幕府初代将軍の徳川家康により、京都の守護及び上洛の際の宿所として造営されました。二条城築城とともに260年あまり続く徳川時代の幕が開かれたと言えます。
1626年に後水尾天皇の行幸(天皇の外出のこと)のため、二条城は大規模な拡張・修復工事が行われ華麗に装飾されたお城となったのです。現在の二の丸御殿はこの時に造営されたものです。(第二代将軍秀忠の娘・和子(東福門院)が入内したため、二条城への行幸が行われたのです。)徳川家は天皇の行幸によって皇室とのつながりを強固なものとしたのです。
そして1867年(慶応3年)江戸幕府15第将軍の徳川慶喜により二条城大広間にて「大政奉還」が宣言され、徳川幕府の幕が降ろされたのです。徳川時代の最後を迎えたのもこの二条城でした
二条城は第三代将軍の家光が上洛し入城したのを最後に、歴史の表舞台から姿を消します。政治の中心が江戸であったため、また平和な世が続き戦乱がなかったため、幕末まで将軍が入城することがありませんでした。後水尾天皇の行幸が二条城の最盛期だったのです。
■大政奉還とは?
将軍家は政権を天皇から預かる形で日本の統治者として君臨してきましたが、そのころ武力で幕府を倒そうとする動きが現れたため、平和的解決のため政権を朝廷に返す宣言をしたのです。これにより新しい時代へと移り変わりました。
豪華絢爛な唐門
この唐門は1626年の行幸のため、その前年に建てられたものです。鶴や亀、松竹梅などの長寿を象徴するものや、龍や虎などの霊獣と考えられる彫刻が施され格式の高さまを感じられます。華やかであり品格のある豪華な唐門です。こちらは重要文化財です。
国宝・二の丸御殿
二条城の二の丸御殿は、江戸時代の代表的な書院造で、国内の城郭に残っている唯一の御殿です。国宝に指定されています。二の丸御殿には徳川の繁栄を感じ取れる3000以上の障壁画が残されています。来殿者が最初に立ち入る部屋の壁には躍動感のある虎が描かれており、徳川家の威厳を実感させられます。虎は中国では霊獣で主人を守護し来訪者を威嚇するとされているようです。大広間には、透かし彫りの素晴らしい彫刻が施された欄間が見られ、金で装飾された花熨斗形が輝くとても豪華絢爛な御殿です。歴史的舞台となった二条城は、今でも徳川の威光が感じられる壮麗な御殿です。
特別名勝庭園・二の丸庭園
1603年(慶長8年)の築城時に作られた庭園です。1626年に天皇行幸のため、作事奉行の小堀遠州により改修されました。御殿とともに豪華な書院造庭園が鑑賞できるのは唯一この二条城だけのようです。二の丸御殿の大広間、黒書院、行幸御殿の3方向から眺められるように作られています。
釣鐘
こちらの釣鐘は、火事等の緊急事態を周辺に知らせるために使われていたものです。二条城周辺に設けられていた京都所司代屋敷(朝廷や大名を取り締まっていた機関)にて使われていたのですが、所司代が廃止されこの二条城へと移されました。
天守閣跡
この場所にあった天守閣は、1626年(寛永3年)に伏見城から移築された地上5階、地下1階の建物だったそうです。1750年(寛延3年)落雷により焼失し、その後、再建されることはなかったようです。1626年の行幸の際には、後水尾天皇がこの天守閣へ登られ、天皇が登った唯一の天守閣と言われています。現在は石垣へ登ることができます。当時の地上5階からの眺めは、美しい京都の町を一望できる素晴らしい景色だったことでしょう。
本丸御殿・本丸庭園
本丸御殿は現在保存改修工事が行われており、残念ながら見ることができませんでした。2022年完成予定とのことです。工事完了後、また改めて訪れたいと思います。
本丸は1626年当時築かれていた建物が1788年の大火災で焼失し、その後15第将軍の慶喜により築かれたものは1881年に取り壊されました。
現在、修復工事中の本丸は、当時二条城が天皇家の別荘である離宮として使われていたことにより、1847に桂宮家が京都御所に建てた御殿を1894年にこちらへ移築したものだそうです。
本丸庭園は、1896年(明治29年)に明治天皇の指示により作られた庭園です。
喫茶処・和楽庵
お城の敷地内にある喫茶処です。和菓子とおいしいお茶がいただけます。
庭園「清流園」を眺めながら寛げます。「清流園」は東半分が洋風庭園、西半分が和風庭園になっている和洋折衷庭園です。
アクセス
地下鉄「二条城前駅」下車すぐ
市バス「二条城前」バス停下車すぐ
【開城時間】8:45-16:00他
【休城日】 12月29日~12月31日
入城料が必要になります。
京都市中京区二条通堀川西入二条城町541
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